2026年 03月 06日、大朝を学ぶシリーズ➊は『「吉川氏と大朝」シリーズ⑩吉川氏の功績と大朝の文化や風土』で終了させて知っていましたが、このシリーズでいちばん大切ところ『「吉川氏と大朝」シリーズ⑫ 吉川氏から学ぶこと=まとめ』が抜けたまま終わりにしてしまっていました。何を勘違いしたのか大チョンボです。気が付いたので、急ぎ大切な「まとめ」アップしました。前後が逆になりますが、読んでいただけると嬉しいです。
「まとめ」の部分は、中国地方の小さな山村にある大朝なのに、妙に開放的で妙に進歩的で妙に文化的。田舎の爺さん婆さんなのにどこか田舎臭くない。さらによそ者や少数派に寛容な文化。私が子どものころから感じていたこの感じはどこから来ているのか・・・仮説「新庄女学校」の誕生こそ大朝の風土を作った大きな要因ではないか。をもとに、歴史をたどり、自然環境や吉川氏、そして新庄学園や吉川氏と大朝のかかわりをたどってい見ると、この3つの要素は見事につながり重なっていました。まだまだ封建的な時代の明治期のこんなど田舎に女学校を設立し女性教育が進められたことは、その後の地域風土に大きな影響を与えたのは間違いないだろう。と、まとめながら、多少のもやもや感が残ったままでしたが、最近、新庄女学校設立にまつわる重要な人物の記録をまとめた作品に出合い、やはりそうだったかもしれないとさらに思うようになってきた。その作品は『時空を超える 心の羅針盤-豊留アサの軌跡と受け継がれる光(柿元幸子)』まだウエブ上だけでしか見られませんが、ぜひ合わせてお読みいただきたい一作です。この豊留アサなくして新庄女学校はなく、大朝の女性が封建社会から開放され、進歩的で寛容な風土づくりに貢献したのではないか、そう思える豊留アサさんである。
時空を超える 心の羅針盤 ― 豊留アサの軌跡と受け継がれる光 ―柿元幸子

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