戦国時代末期、毛利氏の両川(吉川・小早川)として破竹の勢いで勢力を伸ばすも、11代元春、12代元長と続けて当主がなくなり13代に元春の3男の広家が13代を継ぎ拠点を大朝から出雲へと移しました。大朝の地や城は元春の次男の元氏が養子先の繁沢を名乗り大朝の最後の城主となりました。毛利・吉川・小早川は豊臣秀吉の天下統一の軍門に下ったのです。その後の秀吉の朝鮮出兵や毛利氏と共に西軍に着いた関ケ原の戦い等を通して、毛利氏と共に運命は大きく変わっていきました。吉川氏は西軍でありながら徳川方とひそかに通じ、敗戦後、毛利氏の領地は長州と周防(山口県)のみとなったものつぶされることはありませんでした。吉川氏は本来なら小藩を与えられる予定であったと伝えられていますが、吉川氏は固辞し毛利家の家臣として岩国の支藩として明治まで続いていきました。吉川氏なき大朝は、武士も主要な社寺も大きな商家も一斉に岩国周辺に移住したために、文献には残っていませんが人口は一挙に減少し産業も衰退したと考えれています。吉川氏の下で190年間平和で栄えた城下町は元々の鄙びた農村になったと想像できます。江戸時代の中期ごろになって鉄産業や農業が飛躍的に伸び、町は再び繁栄していったと考えられています。しかし、吉川氏がいなくなった大朝ですが、その後も実は大きくかかわっていくのです。



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