鎌倉幕府が滅亡し、朝廷も衰退し各地の統制も混乱します。まもなくして朝廷が南北に分かれて争う南北朝時代へとなっていきました。南北朝の争いの上に地域では領土の奪い合いなども起こり、日本全国が戦乱の時代になっていきます。中国山地の山の中の小さな村を拠点にしてきた吉川氏も近隣の勢力争いや吉川氏の中の勢力争いもあって、大朝の本拠地も脅かされることになっていきます。もともと低い丘の上に築かれた小さな城「駿河丸城」では防備に不安があり、混乱の中を生き抜き吉川氏をまとめた吉川経見(のちの4代)が新庄地区まで勢力を伸ばし本拠地を相続します。そして、新庄地区の真ん中の比高80メートルの小倉山全体に城を築きます。このころから、南北朝や応仁の乱の時代を通して戦功をあげた安芸吉川氏はのちに戦国大名へと成長する歩みを始めたのです。代々の中で中興の祖というべき存在が7代当主となる吉川経基です。応仁の乱では京都などの戦で戦功をあげ鬼吉川と恐れられた武将でした。新庄地区の中心部にある北広島図書館の歴史資料館とその近くの龍山八幡神社そこから北北西約1キロメートのところにある小倉山城址を合わせて吉川氏の歴史の散歩道になっています。また、吉川家とのご縁で百数十年前に開設された新庄学園も新庄の中心部にあります。




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