三次市の向江田の田んぼの中に音丸堂というお堂が建っている。このお堂の言い伝えはこうだ。「いつのことかわ分からないが、むかしこの地で疫病が流行り多くの住民が亡くなったという。この時、この地の名主であった音丸家は疫病で亡くなった多くの人々を弔い、疫病の禍や災害が再び起こらないことを願ってこのお堂を建立した」と伝わっている。地域の人々は、今でもこのお堂を大切に守り6月には地蔵講を催しているという。
昔は、今よりも頻繁に疫病が流行っていたことだろう。医術も薬も少ない時代、一旦疫病が流行りだすと止めようもない。その病が一体なにかも分からず、何かの祟りかはたまた天罰なのかもしれないと考えた事だろう。そして病よりも悲惨なことが起きていたかもしれない。もしかしたら村ごと無くなるようなことがあったかもしれない。
当時から何百年たち、科学も医療も格段に進歩した現代。それでもウイルスのことはまだまだ未知の世界らしい。新型コロナで世界中が混乱している。さすがに祟りとか天罰と思う人はほとんどいないだろうけど、その代わりに陰謀説などが流布され、医療従事者や感染者に言われのない誹謗中傷が浴びせられる。隠されていた人種差別も顕在化している。
音丸堂の調査をしたときは、昔はそうだったんだろうなと、昔の伝説程度にしか思っていなかったが、何百年の時を経て、疫病も、人の性も愚かさもそうそう変わらないことが分かった。とても寂しいことだが・・・。