8月6日。74回目の原爆の日がやってきた。8月9日と共に、広島にとって、いや日本、世界にとって忘れてはならない一日である。
平和公園では原爆が投下された時間に合わせて平和を祈る式典が開かれた。例年、一番熱いころだが、今年は台風の余波で曇り・小雨と珍しく過ごしやすい中、日本中から世界中から大勢の人々が訪れ、平和を祈っていた。今夜はそばを流れる元安川に亡き被害者をと弔う灯篭流しの灯かりが揺らめく。再びこの非人道的な原子爆弾が使われることなく、そして世界中からなくなることを願って・・・。
しかし、現実の世界は、何やらきな臭い方向へ向かっている気がしてならない。アメリカのトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の周主席、そのほかにも、ブラジル、トルコ、イギリス、フィリピン、タイ、そして日本と、強権的で、対立をあおる権力者がどんどん登場している。多くは、それぞれの国民が民主的に選んでいるのだが・・・。その結果、特定の国や集団、民族、宗教に対するヘイトクライムや差別感情による嫌がらせや脅迫、迫害が横行する。日本では、韓国と対立し、「表現の不自由展」が政治家の検閲的な発言によって展示中止になった。多くの国民もそれに乗っかるようにSNSで誹謗中傷や脅迫に加担する。同時に同じくらい多くの国民がその危険性を指摘するのだが。国連からも報道に自由が危機に瀕していると危惧されている日本。芸術表現すら検閲される時代が74年を経て再び訪れるとは恐ろしいことである。広島・呉の戦中戦後を舞台に、戦争、空襲、その中での庶民の暮らしを淡々と描いたこうの史代のアニメ「この世界の片隅で」で、戦争の時代に翻弄されながらも天性の明るさで生き抜く主人公のすずが、軍港の呉港が見えるの高台から好きな絵を描いていると憲兵にスパイと疑われるシーンがあった。アニメの中では重要な場面でもなく、一つのエピソード的なシーンではあるが、こうの文代さんは、一表現者としてどうしても挿入しなければならいと思ったのではないかと想像する。この度の「表現の不自由展」を中止に追いやった批判や脅迫、検閲的な政治家の発言は、70数年前のこのシーンを思い出して恐ろしさを感じるのである―私の思い過ごしであればいいのだが・・・原爆の日に、こんなことを考えないといけない時代とは・・・
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