今年もまやかしの日が訪れた。戦前、戦中、戦後を通して、日本国民(こう言った表現を余りしたくないのだが)をまやかし続けてきたその最たる日ではないだろうか。以前の記事にも書いたのだが、降伏を受入れ天皇の言葉で敗戦を認めた8月15日を終戦記念日と言い換え、責任の所在をあいまいにしたまま、今日に至る。朝鮮の併合、盧溝橋、お粗末な海戦の数々、東南アジアでの無計画な戦い、そして迎えた8月6日、9日、15日。その後の戦争犯罪の追及も、日本と世界で数千万人に達する犠牲者を出し日本に壊滅的な被害をもたらした戦争責任も、自分達で総括も追求もせずに、連合国による東京裁判の不当性だけを声高に叫び、先人の御霊を弔うと言う名目で、戦争責任者さえも神として祭る靖国に参拝する政治家。勝てば官軍の精神の軍の神社、東京招魂社が前身の靖国神社は国のために殉じた英霊を祀る。もちろん戊辰戦争や西南の役で戦った会津や薩摩の兵士は祀られていない。また、キリスト教世界の国々を手本に天皇を頂点とした国家神道を国の柱にした国家の設立を目論んだ明治政府。旧大日本帝国憲法で定めた信教の自由との関係も、神道は宗教にあらずとして憲法に矛盾しないとし、憲法制定草創期からまやかしを始めるなど、まやかしについて明治以降今に至る日本の権力者は筋金入りなのである。安倍首相はまさにその本流に位置しているのだ。沖縄の基地を巡るまやかし、今までの原発推進のまやかし、福島第一原発事故、原発再稼動への動き、TPPなどまやかしは今も静に進行している。日本が再び過ちを繰り返さないために、明治以降の権力者や軍のまやかしを明らかにし、まやかしのない政治と平和をを求め続けていきたいと思う15日である。