ジャーナリズムからゴシップ紙へといつから変わったのだろう。公務員時代の犯罪でもなく、一般人として逮捕も起訴もされていないのに、単なるゴシップを実名で堂々と記事にする行為は信じがたい。読売新聞は日本を代表する大新聞社の1社ではなかったのか。それも、政権に不利な情報を発信した者の人格攻撃によって品位を貶めようとする謀りごとに加担する行為は、単なるゴシップ記事を通り越し、ジャーナリズムにあるまじき卑劣な行為である。以前から右寄りで、安倍政権の太鼓持ち的な読売新聞ではあるが、それでもジャーナリズムとしての良心はあると思っていた。が、しかし、ここにきてついにジャーナリズムの錦の御旗を降ろした。自分の意に沿わない者どもや政権に逆らうものは叩き潰すという、まさに戦前の恐怖がよみがえる。あの戦争時代の軍部の暴走に加担した歴史を反省し、自由と民主主義のもとで、権力に対するチェック機能を持つジャーナリズムとして出直したのではなかったのか。安倍首相や菅官房長官による批判的な者や反対勢力への下劣な攻撃も許されるものではないが、ジャーナリズムの仮面を被って、異なる意見や考えを抹殺しようとする行為を決して許してはならない。今回の前川証言がこのような悪だくみによって抹殺されるのを黙ってみているわけにはいかない。数は少ないかもしれないが、まだ良心をお持ちの自民党議員の皆さん、力が弱いとはいえ野党の皆さん、姑息な安倍政権と下劣な新聞社に負けずに、ゆがんだ政策に真正面からメスを入れてくれるよう期待する。同時に読売新聞をこれからはゴシップ紙と呼ぶことにする。